DJ INTERVIEW Details
一覧へ戻る  表紙へ戻る
KASEY TAYLOR(2003/2/3更新)Australia
オーストラリアのトップDJであり、またBEDROCKやRHYTHM SYNDICATEなどを通じ て知られているプロダクション・ブランド、OCEAN WAVEとして活動。QUENCH名義 でプロダクションを開始し、その後、OUR HOUSE名義でPAUL OAKENFOLDの PERFECTOと契約するなど、DJと制作の両面でシーンをリードしている。'97年に はVAPOURを設立。
”13歳の時にDJをローラースケートリンクで始めたんだ。”
まず初歩的な質問ですが、生まれを聞かせてください。

「オーストラリアのメルボルンで1972年に生まれた」

子供の頃はどんな音楽を聴き、そしてそれは今のあなたの音楽にどのように影響してるのでしょ
うか?


「僕が子供だった頃は、今ほど多くのスタイルがあったわけではないし、いろんなジャンルに枝分
かれもしていなくて、方向性もたくさんはなかった。ブレイクスやアンビエントといったハッキリ
したスタイルは存在しなかったんだ。ラジオで流れてるものなら何でも聞いてたね。すべての音楽
を聴いていたし、今も聴いてる。僕はこと音楽に関してはオープンだったから、時間さえあればど
んなものも少しずつ聴いてた。すべての音楽から影響を受けたね。ダンスミュージックだけじゃな
いよ」

では、DJはいつから始めたのですか?

「13歳の時にDJをローラースケートリンクで始めたんだ。DJを始めるには変な場所だよね。でも
僕が13歳だった時は、当然クラブで働くには十分な年齢じゃなかったわけだよ。だからローラー
スケート場でやるしかなかったんだ。どっちにしても僕はよくスケートしてたしね。いつも音楽も
好きだった。僕の家族の友達がスケート場を持ってたからそこから入っていったんだ。クラブで最
初にブレイクしたのは17歳の時で、それからはメルボルンのクラブというクラブを全てプレイし
て回った。それからオーストラリアの他の州や海外で仕事をやるようになったんだ」

メルボルンではどのクラブが好きですか?

「僕が日曜の夜に回してるQ BAR。もう4年やってて、僕らはそのイヴェントにはすごく満足して
る。そこは小さな場所で、3、400人しか入らないんだけど、とても親しみある雰囲気だし盛り上
がるんだよ。その前に、世界で最も好きなクラブはやはり同じくメルボルンにあったTHE MANSION
だった、ということを言わなくてはいけない。この世界における素晴らしかった時代のクラブで、
音楽はそのフロアに完璧にあっていた。暗くて低い屋根があって。・・すべてがすごかった!」

世界では?

「世界で今最も好きなクラブは絶対にだね。僕がプレイした2回とも素晴らしいヴァ
イブで、お客さんたちもいつも音楽のためだけに来ている。他に好きだったのは(マレーシアの)
クアラルンプールにあったMOVEMENTだ。火事でなくなるまではね」

オーストラリアのシーンが注目されていますが、住んでいる立場からすると、どんな感じですか?

「オーストラリアのシーンは最近数年で随分と変わってきていて、今はフェスティヴァルという形
が中心になってきた。それらのパーティーは巨大化していって、今では定期的に開催されるように
なったから、そこに多大な努力を払わなくてはいけなくなった。だから逆に毎週末の普通のクラブ
にフォーカスできなくなってきているんだ。人々は大きなイヴェントにお金を使うためにセーブし
ているから、週末クラブにいけるだけのお金の余裕がなくなってきてるし。今、オーストラリアで
生き残っているクラブは、約400から500人のクラブだけだ。一方で、大きなパーティーのお客さ
んは8千人はくだらないし、本当に大きなパーティーの場合2万人にもなるから、僕らは確かにす
ごく根強いダンス・ミュージックのシーンを持ってると思う。そうはいっても、オーストラリアの
シーンはすごく変わったと思う」

オーストラリアのシーンはイギリスからの影響が強いのでしょうか?

「絶対そうだったし、今もある程度はそうだね。イギリスのプレスには特にとても大きな影響を受
けてるけど、それが必ずしもいつもいいというわけではない。彼らはいつもプログレッシヴ・ハウ
スが何たるやってことばかり論じたがるからね。最近では人々が世界各地様々なところからの影響
を受けてきていると僕は信じている」

あなた自身のDJスタイルについてですが、どういった変遷を経て今に至るのですか?

「もし僕と同じぐらい長くこの音楽シーンにいたら、非常に多くの音楽スタイルを経験していくこ
とになるだろう。今プレイしているようなスタイルになる前にほとんどすべてのスタイルを経験し
てきた。ずっと楽しんできたよ。ここ数年は同じスタイルでプレイしている。今のスタイルをプレ
イし始めてからもかなり進化してはいるけど、それは同じ波長の上でのこと」

名前を売るためにはKASEY TAYLORを名乗った方がいいと思うのですが、制作時にOCEAN
WAVE名義を使う目的はなんですか?


「僕にもあまりよくわからない。評判が高まる前までは、自分の名前を使うことに対して実はあま
り心地よくはなかったんだ。最近2,3のりミックスを行ったけど、このごろになって自分自身の
名前を前よりよく使い始めた。それは世界中の人たちにKASEY TAYLORの名前の方が知られてい
るということも理由なんだけど、最近思うに、自分の名前を使う方がいいと思うんだ。名前の背後
に誰がいるのかを探そうとした人たちが混乱しなくてすむから」

OCEAN WAVEサウンドのポイントは?

「VELVET」と「CLEARWATER」とともにあった初期のOCEAN WAVEは、実力のあるDJたちに
アピールするようなタフでドライヴィングなサウンドを創ろうとしてたけど、興味を持続してもら
うためにちょっと違う響きのある何かもそこにあるように工夫した。他のすでに発売されたレコー
ドと同じように聞こえないように曲を作ろうとしてたんだけど、多分その当時には、それはうまく
いってたと思うよ」

OUR HOUSEは、オーストラリアのトップDJであるあなたとSEAN QUINNのユニットですが、
オーストラリアではSASHA&DIGWEEDのような関係になるんですか?


「うん、絶対、僕の方はDIGWEEDみたいに計画的な人、SEANの方はSASHAのように無計画な人
(笑)」

SASHAのリミックスを手掛けたとのことですが、詳しく教えて下さい。

「僕にとって「Magnetic North」という曲は、アルバム(SAHSAの『Airdrawndagger』)の中
でベスト。アルバムのオリジナル版には、僕がそのまま引用してリミックス出来る音がかなりあっ
た。最初は、行き詰ることなくどこまでいけるかなと思って、オリジナルにあったパーツ全ての音
をいじくったりしてただけだったんだけど、なんとか80%満足した状態でミックスを終えた。
SASHAが(2002年の)クリスマス前にメルボルンに来た時に僕はプレイしてみたんだけど彼はと
ても気に入った様子だった。だから願わくばオリジナルパーツを取り除いた形でミックスを終えて、
リリースされることで日の目を見るといいなと思う」

今後の予定を教えてください。

「年末か2004年の始めにはイギリスに引越そうと考えてる。現在、僕の仕事はほとんどがヨーロ
ッパかアメリカ。だからそういう国からDJの依頼を1本受けたら、全体で約1ヶ月のツアーを組む
ように計画するんだよ、資金的に存続できるようにね。もしUKに住むことが出来れば、オースト
ラリアから行くのとは違って、その週の間、時間をロスしたり、毎日のことが出来なくなるなどと
は気にせずに、週末だけその国にいくことが出来る。アメリカについても同じ。UKからたった10
時間のフライトだから、週末だけ行くことは可能だ。まだ自分の中で考えてるだけなんだけど、今
の僕にとってはベストな選択のような気がしてる。それは別として、僕はまだVAPOUR(自身の
レーベル)に力を入れている。今年も多くの素晴らしいリリースを控えていてすごく楽しみなんだ。
リリースのクオリティからいっても、僕らにとっては最大の年となるだろうと思う。願わくば次の
レヴェルへ一歩踏み出したいね。」
一覧へ戻る  表紙へ戻る

Copyright 2002- MUSIC WAVE Co.,Ltd.All right reserved.