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SASHA
(2003/1/10更新)
マンチェスターのHACIENDAにてDJの基礎を学び、SHELLY'Sのレジデントとしてイタリアン・ハウスにアカペラを乗せるDJスタイルで人気を博し、その後
で地位を不動のものにした。JOHN DIGWEEDとTWILOでプレイしたことからアメリカのサウンドにも影響を及ぼし、スーパースターDJの代名詞的な存在。JUNKIE XLとCHARLIE MAYの協力によるアルバム『Airdrawndagger』が高く評価されている。
Airdrawndagger』はあなたのデビューアルバムとして位置づけられていますが『The Qat Collection』というのはミニアルバムという風に考えればよいですか?
それはEPの延長みたいなものだよ。『The Qat Collection』は手元にあってどう すればいいかわからなかったクラブ・ミックスをつないで作った12インチ・コレ クションだね。だから、このアルバム(『Airdrawndagger』)が僕が初めから最 後まで作った最初の正式なアルバムだ
アルバムのタイトルは小説から取ったのですよね?
そう
それはどういう小説ですか?
それはシェイクスピアなんだ。シェイクスピアからの引用。何度も繰り返し思い 出される夢が主人公を追い詰めていく。“Airdrawndagger”の夢が彼を狂気に落 とすまで。それを読んで、自分の頭の中に残ってずっと離れなかった。すごくパ ワフルで喚起的なイメージだと思った。で、自分のデスクトップコンピューター に2、3年置いてたんだ。僕のアルバムのところにたまたま貼り付けてあったって わけ(笑)。だから、特別に何か意味が・・・あ、いや、でもここ2,3年はそう いう時があったかも。アルバムを完成させようとしてすごく大変な過程を経なく てはいけなくて、僕にとっては悪夢を回想させるように感じてた時がね・・ (笑)
『Airdrawndagger』とは正確にはどういうものですか?
(短剣を持って上から下に叩きつけるように一気に風を切って振り下ろす振りを して)Strike。これがその考え方だと思うよ
なるほど。ところでアルバムはとても長い時間がかかったようですね。
実際にレコーディングは9ヶ月だった。準備したり一緒に働くメンバーをそろえ たり、スタジオでの働き方とか、コンピューターを使ってどう作曲するのかも学 ばなければいけなかったから時間がかかった。最初アルバムの話をし始めたとき は、Pro Toolsなどのソフトをどうやって使うかすら知らなかったからね。自分 の頭をそっちに持っていくまでに時間がかかったね
いつアルバムを作り始めたのですか? 鼓膜の事故の後?
もうすでにその前には取り掛かっていたよ。時々休みを取るなりして3ヶ月家で やってた。そしたら鼓膜を破った。その後、また3ヶ月やった。それで6ヶ月たっ てアルバムの大体の形が出来上がってきたんだ。鼓膜の事故がなかったとしても そうなっただろうけど、この件が(アルバムを作る作業の)触媒となったのは間 違いないよ。絶対そう。アルバムの作業を促進させたと思う
長年世界中をDJして回っていたのに、週末に家にいなくてはいけないときはどんな気持ちでしたか?
正直に言うと、12年間で初めてツアーやすべてのことをSTOPしたんだ。だから僕 がどんなにDJをすることが大好きかということと、どれほど僕にはDJをすること が大事なのかがよくわかったのと同時に、ゆっくりリラックスして何も心配する ことがないというのもよかったのは確かだ。1つの場所にしばらくとどまってい られるってことはとても珍しいことだったから、最大限に活用したよ
「Xpander EP」での好リアクションから、今回のアルバムの流れには驚いた人も多いと思うんですが、なぜブレイクビート主体にしようと思ったのですか?
わからない。ただ、そうやって音楽は発展していくんだと僕は思う。もし 「Xpander」を聞いて、そしてこのアルバムを聞けば、二つの間にサウンドと感 覚で似ているところをたくさん見つけられると思う。ブレイクビートを使うと もっと実験的に見えるけどね。4つ打ちだと、ある感覚を守らないといけないっ てところはあるでしょ。でもクールだよ、だからダンスフロアで受け入れられる んだと思うけどね。ただ、ブレイクビートはアレンジにおいても実験的にできる し、音楽にもっともっと空間をつくってくれる。4つ打ちのレコードで実験的か つダンスフロアでも活きる曲を作るのはとても難しいと思うけどブレイクビート にはいろんな音楽的なアイデアで遊べるスペースがある。最初からそういうアル バムを作ろうと決めていたわけじゃない。曲を作るごとにいいものを残してきた ら、それがブレイクビートだった
以前からThe Lightと懇意だったりしますが、今回は彼らを起用することはなかったのですね。ブレイクビートを得意としていたので。
GUS GUSのリミックスとか2、3別のことを一緒にしたりしたよ。一緒に働くのは すごく素敵だよ。すごい。本当に才能のあるプロデューサーだと思う。でも、 チャーリー、トム、サイモンとのチームは、なんていうか僕が必要としてるん だ・・だから・・
あなたはいつも新しい才能を探し出して起用しますね。たとえばJames Holdenなど。いつもあなたの方から何かやろうっていう風に話をもちかけるんですか?
James Holdenは若いプロデューサーとしてすでに確立してる。とても才能がある し絶対、将来素晴らしいプロデューサーになるよ、うん。僕はただ本当に好きな だけなんだ。そうだなー、DJだからいいレコードを聴くし、人が作るものをも らったりする。時々音楽を作ろうと思ったりするから誰かとスタジオに入ったり するわけだ。でもそこでもしも、もっと自分達のいい関係を築き上げることが出 来たら、それはすごい。ただ音楽をスタジオで作ってるだけだと、いいVibeはそ こにはないよ。チャーリーやトミーのように、1日スタジオに入ろう、っていう ところから始まって、次の瞬間には親友になれるってこともあるんだ。そういう 関係ができるのはいいね。わかんないけど、若くて才能ある人達に囲まれるのも COOLだとは思うよ。マドンナがそういうのはすごくうまいと思う(笑)。様子を 見て一緒に過ごしたりすることってすごく大事だと思う。あ、それにすごくたく さんのことが学べるよ、たった1回のセッションをほかのプロデューサーと仕事 しただけでも。みんな、働き方が違うんだ。1回のスタジオで得られる知識と いったら驚くべきものがある。いわば、僕にとって教育的なことを選んでるって 側面もあるんだよね。人のアイデアを盗むとかいうことではなく、彼らがそれぞ れどういう風に働いてるかをみるんだ。どんなプロデューサーと働いても、それ ぞれの人が自分オリジナルの技や近道を持ってるから。そういうのをピックアッ プして自分でやってみると、より早くいいものが出来るようになる。人々のやり 方を観察するのはいいこと。同じことをやるのに違うやり方がたくさんある
マジックですね。
うん
そういえばあなたのオフィシャルサイトを時々見てて、“TWILOの魔法”というあなたの言葉をよく見かけました。去年から今年にかけて何本かあなたが受けたメディアからのインタヴューの文章の中でだと思います。それについてもう少 し説明してくれますか?
TWILOは、本当に全てを備えてた。New Yorkはこの惑星の中でもCrazyな都市だ。 惑星中の人たちが集まっている。人種や文化のミックス。・・・そして世界で一 番いいサウンドシステム、わかるでしょ。僕とJohn (Digweed) は、NYにとっ て完璧な時期にプレイし始めることが出来たんだと思う。こういう音楽をかけて る本当にいい場所は当時NYにはなかったから。すべてが集結してた。そこでプレ イしていた時間は本当にすばらしかった。そう、サウンドシステムは驚異的にす ごかったよ。Steve DashがPHAZON(スピーカーのメーカー名)システムを作った んだけど、彼は毎週クラブにいて、常に新しいスピーカー、システム、セッティ ングを試していって・・・。それとね、空間も魔法のうちの一つなんだ。たとえ フロアに誰もいなくても、歩いて入っただけで確実にすでに雰囲気がそこにある のを感じられる。バイブレーションを感じられるんだ。こんなクラブは世界でも ものすごく稀だよ。単にフロアの空間に歩いて入っただけで感じられる。エネル ギーがそこらじゅうに満ちているんだ
そうですね。TWILOの4周年記念パーティーの日(2001年4月)もあなたを待っていたんですよ。(TWILOに来た人達は皆、当日もSASHAを待っていたが、鼓膜がまだ治らず、来れないことが判明。)
あぁ・・・・そうか・・・
とても残念でした。
そうだね・・・、残念だった。うん・・。あの日は僕がTWILOでプレイできる最 後の日だったはずだった。あの2ヶ月後にシャットダウンされたからね。僕はあ の週、家でものすごく落ち込んでいた。その週はもうずっと暗くふさぎこんで て、顔はこんなんだし(腫れた顔をしてくれた)、耳はこうでしょう・・。僕は ただコンピューターとピアノの前に座って、「Fundamental」と「Immortal」を その週に作った。何かポジティヴなことをどうしても起こすように僕は運命づけ られてたから、「Immortal」と「Fundamental」を作ったんだと僕は思ってる。 二つともアルバムの中ではもっともダークな曲だ。多分僕のその週の気持ちが出 てるんだと思うけどね
「Requiem」はどうですか?
あれは9月11日に作ったんだ。あの日TVでタワーが崩れていくのをみていてもう 耐えられなくなってスタジオに行ってこの曲をもう少しやろうということになっ た。そのミックスは僕がもうすでに完成させててチャーリーがロンドンでプレイ していい反応もあったんだけど、あの夜以来、随分変わったものになった。でも あの時は、自分達の頭がNYで起こったことで一杯になってしまっていたから、何 かせずにはいられなかった。曲を作ることは僕らにとってはヒーリングになった と思う。その後の10日間スタジオに戻って作業したけど、あの夜だけでもものす ごく僕らは助かった
New Yorkにはその後行きましたか? 行ってますよね。
うん、行った、行った。あのあと2つギグがNYであった。1回目は1ヶ月後だった んだ、実は。すごく変な気分だった。1月は素晴らしかったよ。また行くのを楽 しみにしてる
2002年はDelta Heavy Tour、そしてご自分自身でもUSAへのツアーをしていますね。なぜ今年はUSAにたくさん行くことにしたんですか?
今までUSで一生懸命、僕自身のキャリアを築き上げられるように仕事をしてきた からね。できる限りこのアルバムのサポートもしたかったし。とにかく本当にた くさんの時間を使ってきたから。それに、アメリカは巨大な市場だからね(笑)
そうですね。日本にはこれからもっと来ますか?
ビッグフェスティバルではなく、クラブでプレイしに戻ってきたいな。小さなこ とをやっていきたい。日本で小さなツアーもやってみたい。ここに来るまでに随 分と時間がかかって、自分でバカだったなぁって思う。もっとこれからは戻って 来たいと思う
答えにくいかもしれないんだけど・・DJとして世界に何が出来ると思いますか?
僕に何が出来るか(笑)? 音楽の中に何かのメッセージを込めてはいないし、 えーと、、、分からないな。本当に分からないな
あなたは本当にたくさんの人をあなたの音楽によって癒していると思います。たとえばアメリカにしても、今いろいろ目の前に問題を抱えていて、考えなくてはいけないことがたくさんあるし、辛い時期を過ごしていますね。
もし僕のアルバムが彼ら自身が経験しなくてはいけないことを乗り越えていくこ とを助けているとしたら、それは本当に・・・それはすごく僕にとって意味が深 い。
アルバムはDJの時のセットとは全然違う。もちろん、その中のいくつかの曲はDJ の時にかけたりするけど、もっとビートがきいててダークな曲をDJではかけて る。
でも、うん、もし僕の音楽が人々を助けているとしたら、とても素晴らしいよ。 素晴らしい
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