DJ INTERVIEW Details
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MARINO BERARDI(2002/9/10更新)
LOUIS BOTELLAとの活動で知られるルクセンブルグのプロデューサー/DJ。ハウス、プログレッシヴ、テック・ハウスなどジャンルの枠を超えるサウンドが特徴。特に「Expression In E-Dub」はFARANCOIS KのWAVEからリリースされた他、VENDETTA、FRESH FRUIT、WALLY'S GROOVE WORLD、FORCED、AREA CODE 070、SUBLIMINAL、MOODY、OVUMなどから作品を多数発表している。自身でもMB RECORDINGSを運営している。
いろいろな中から少しずつ選んで、自分オリジナルの料理を作るんだ
出身を聞かせてください。

国もルクセンブルグ。都市もルクセンブルグっていう。だから中心部だね。ずっとここに住んでる。僕はイタリア人なんだけどルクセンブルグで生まれた。両親がイタリア人なんだ。だからI’m an Italian in Luxemburg。

イタリア語も話すの?。

うん。僕はイタリア語、フランス語、ドイツ語、英語、そしてルクセンブルグ語を話すよ。でもそれは普通なんだ。みな、小学校に上がると、フランス語とドイツ語を学ぶ。普通だよ。10年もすれば、フランス語とドイツ語とルクセンブルグ語を話すようになる。日本人がルクセンブルグに住めば、日本語、ルクセンブルグ語、フランス語、ドイツ語、英語をしゃべるようになるよ。ルクセンブルグの人々にとって必要な事なんだ。こういう言語を話すこと。

多くの人たちと彼ら自身の言語を使って話す事は、あなた方にとっても有益でしょうね。

うん。ルクセンブルグは小さいし、ベルギー、フランス、ドイツ、オランダともミックスしている国だし簡単だよ。7歳にもなればほとんど(言語の)問題もなくなる。その国の言葉を使って話せれば、本当にその国の人たちの事が分かるからね。

ルクセンブルグのクラブシーンについて教えてください。

クラブカルチャーのようなものは全然ないんだ。ルクセンブルグは小さい。そしてナイトライフ政策があって3時には閉店しないといけない。早すぎる。それに想像してみてよ。ルクセンブルグの人口が44万人で、シティが8万人。それに大きな大学がない。だから若い人たちが国外に出て行く。ロンドン、パリ、ドイツ、なんかへね。20代から30代の若い人たちがルクセンブルグからいなくなってるんだよ。いるのは15歳から20歳のキッズと年取った人たち。そういうわけで強力なクラブシーンを作るのはすごく難しい。ひとつだけアンダーグラウンドなクラブがあるよ。テクノ、ハウスなんかの。1500人ぐらいのね。他のクラブは全部、商業的でポピュラーなラジオ音楽とかヒップホップ。本当のクラブカルチャーを持つのは難しい。難しいよ。

そういう状況にも関わらずあなたのプレイはすごいです。

ありがとう、ありがとう。16歳の時に始めて以来10年になる。今26歳。僕が一日中出来るのはMIXだけだ。あるクラブで2,3年レジデントをやって週に3日、水曜・金曜・土曜に一晩中回していた。というか、10年経ってもMIXがよくならなかったら、業界を去ったほうがいいよね。レジデントだったのは92年から95年。

レジデントだったクラブの名前は?

カサブランカクラブ。今は、Cafe de La gareっていう。駅の近くだ。

他国にもDJしにいくんですか?

ベルギー、ドイツ、フランス、スペイン、ロンドン、オランダにいくよ。ルクセンブルグに近いし。

うらやましく思います。全て私達からとても遠い国々なので。

ブリュッセルから車で2時間、アムステルダムから3時間、パリからも3時間、ドイツはたくさん大都市があるし、スイスは6時間。イタリアはちょっと長くて9時間。 僕はPescaraの出身だ。漁師の街という意味。

たまにイタリアに戻るのですか?

うん。おじさんやたくさんの従兄弟達がいる。おじいちゃんも。おばあちゃんが去年11月になくなった。それが最後にイタリアに行った時。

どこでプレイするのが好き?

オランダがすごく好き。ベルギーもいいね。皆全然違うけど、いつもNICEだ。

レジデントとしてまわしてるクラブは ?

結局レジデントでまわすクラブはないんだ。説明するよ。
92年にDJを始めて、多分本当にハードなスケジュールを強いられる中の一人になった。最初はとにかくすごくプレイした。毎週3日、3、4年間。そうしてるうちに若い子達、つまり他のDJたちもプレイし始めた。選択肢が出来たわけだ。6年後、僕はほとんど回さなくなった。みんなが「俺はDJだ」って言い始めたからだよ。僕はプロフェッショナルにやっていきたかった。だからまわすのが難しくなったんだよ。DJが多すぎた。たとえば僕が1万円でやるところを、他のDJたちは5000円でやる。そしたら安いDJが起用されたりするわけだ。その頃には僕はもう全然回さなくなった。すごいフラストレーションだった。悲しかった。僕はプロのDJに本当になりたかった。どうすればいいんだろう?・・・そのとき、レコードを作る、製作をする、という事に決めたんだ。これが僕がどうやって製作をする事になったのかという理由だ。
友達のLUIS BOTELLAと一緒に機材を買って、3,4年前に最初のレコードを出した。
僕らはいくつかのプロジェクトを持ってて、Cosmetixというのも僕とLUIS。テックハウスな感じだよ。“Botella Berardi” は、もっとメローでハウス、フィルターハウスな感じ。異なるプロジェクトには違う名前をつける。

音楽を作るとき、どこからインスピレーションを得るのですか?

分からない。全ての場所から。人々が好きだと思うことや、自分の好きな事をする。自分がいやな事はしない。どうにかそれで機能してるようだよ。いい事だ。インスピレーションはどこからでも来る。家にいてもクラブにいても。
ね、ね、ルクセンブルグでのいい事を君に教えたいんだけど。

もちろん!

僕は全部好きなんだ!一晩中プレイするとき、たまに最初はDEEP HOUSEで、最後にはTECHNOになってる事もある。全部すきなんだ。僕らはベルギーに行くとハウスが聞けて、オランダに行くとプログレッシブハウスやトランスが聞けて、ドイツに行くとテクノが聞ける。僕らは全部のクラブでプレイできるんだ。ノルウェイなんかにも行く事がある。全部聞ける。だから僕はテックハウスだけとか、プログレッシブハウスだけとかでなくて、全部の種類のレコードをかけるんだよ。もし僕がベルリンに住んでたら、多分テクノしかかけなかっただろうね。なぜって、他の国に行くチャンスがないからだよ。
ルクセンブルグはすごく小さくてクラブカルチャーがないし大きなクラブもない。でもいろいろな中から少しずつ選んで、自分オリジナルの料理を作るんだ。

MARINOがレコードをリリースしたレーベル一覧

WALLY’S GROOVE WORLD / BELGIUM
MB RECORDINGS
WAVE / USA NY
SIESTA / SANDIEGO
MOODY / CHICAGO
OVUM / PHILADELPHIA
AREA CPDE 070 / NETHERLANDS
FRESHFRUIT
1ST RELEASE VENUETTA / SPAIN
RIVIERA REC. / FRANCFE

REMIX WORK

ARSENAL A VOLTA / WGW
DJ UL’Z ACIDTRIX/ OVUM
DJ 19 THE MOMENTS /19BOX

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