DJで最も大事なのは、人々とつながること。音楽でだけじゃなく、人間としてだ。
まず最初に、いつどこで生まれましたか?
オーストラリアのメルボルンで生まれて今はイギリスに住んでる。1973年11月15日生まれで、さそり座。今28歳だよ。
他の国に引越しをした事は?
オーストラリアからUKに引っ越した。それがそう。7年前の事。家族はイタリア人なんだ。僕らはイタリアに別荘を持ってる。でもそこには住んだ事はなくて休暇のときだけ。
別荘!いいですね。夏の間?
うん。素晴らしかった。冬も行ったよ。休暇で静かなところに行くんだ。リラックスしに。ARONAという街で、ミラノから北へ30分のところで、スイスアルプスに近い。静かできれいでショッピングにもいいし、湖と山は平和で。
すごくいいですね・・。
イタリアではDJはあまりしなかった。イタリアのシーンはもっとUSガラージ、ハウスだったから。Progressiveな音ではあかった。イタリアは家族、そしてリラックスの場。
いつDJになったのですか?
13歳のとき。だからもう15年になる。
中学校に行ってたときですね。
そう。僕は4歳のときからドラムをやってたんだ。父がミュージシャンで、かつて家の中でドラムの練習をしてた。赤ちゃんの頃から家でいつも音楽を聴いてたから、とても早い時期にドラムを始めたんだよ。それが僕にとって音楽を開始した頃。10代になってからレコードを買うようになり、DJになった。
どんなジャンルがその頃好きでしたか?
なんでも買ったよ。Disco House,High Energy、Hip Hop、Funk、いろんな幅広い音楽。パーティーでプレイするようになって、違う種類の何千のレコードをかけてた。それはいろんな音楽の知識を得るのには良かった。で、その後もっとDJとして経験を得て、自分の音を選んで方向を定めていったんだ。何年も経ってからね。
それはいつ頃?
多分89年か90年だよ。もっと前かな。ゲリラレコードが始まったばかりの初期のプログレシブハウスの頃。その音が好きだった。まだ当時は新しくて新鮮で。
どんなレコードを買ってたか覚えてる?
そのころはロンドンのFuture Sound、Guerillaレコードのは全部、あとCowboy records・・・んー。(思い出せない)うん。(笑)
ところでなぜUKに引っ越したのですか?
僕は7、8年オーストラリアでDJをしてきて、その頃には自分がオーストラリアではトップレベルに達したような気がした。まだ音楽シーンも若かったし。僕はもっと大きな挑戦を自分のキャリアにおいてする必要がある気がした。DJ生活をもっと真剣に捉えたかったんだ。オーストラリアでは日中も(別の)仕事を持ってたんだよ。父と一緒に。でも音楽・DJの仕事を100%したかった。でもそれにはオーストラリアのシーンはまだ十分に大きくなかった。だからUKに引っ越すのがいいと思ったんだ。お金を稼いでDJになるために。それはすごい辛かった。友達と家族とも別れて、ゼロからキャリアを再び始めた。ボトムから。でもそれは決められてたんだ。だって、僕はもし行ってたらどうなったかな、行ってなかったらどうだったかな、なんて考えながら人生終われないよ。(行けば)そんな事に煩わされない。だからトライしないといけなかった。もしクビになったら家に戻らなきゃいけない。でもトライしないといけない。・・・で、それはうまくいったよ。もし一生懸命働いて献身すれば実現するんだ。
どのクラブで最初は始めたのですか?
イギリスで最初に働いたのはルネサンスだ。オーストラリアでDave Seamanにあった。彼が彼のレコードレーベル;ストレスレコードのために仕事をくれた。だから、毎月彼にテープを送っていた。すると彼がルネサンスに僕のテープを送った。ルネサンスはDJの代理店機能も持ってる。彼らがテープを気に入ったんだ。だから、95年に、僕はルネサンスのWarm Up DJとなった。それがイギリスでのスタートだね。
本当・・。すごい・・。それは「ボトム」というわけでもないですね。
うん、確かにルネサンスだったから、ボトムではなかった。でも、僕は1ヶ月に1回のギグから始めた。それに新しいDJとして。ルネサンスとイギリスのクラブシーンに、自分の信頼を築かなくちゃいけなかったんだ。ルネサンスは僕の背後にいてくれて、一緒に働いた。
あなたは自分の音楽をプログレッシブハウスと呼んでいますよね。
うん。
今日のプログレッシブハウスをどう思いますか?世界中でのこのシーンは?
このシーンはまだいいと思うよ。思うに、人々はプログレッシブハウスという言葉をよくない感じに使ってる。プログレッシブハウスっていうのは、時とともに変化し続けていくハウスミュージックの事だ。だからプログレッシブハウスって言う。人々はプログレッシブハウスの事をEthic、たとえば95年のBTなどのように考えてると思う。今のプログレッシブハウスはテックハウス、テクノ。ブレイクビートなどの影響を受けていて、1つのものではない。音楽のいろいろなソースに影響されてるんだ。まだこの音楽は健康的だと思うよ。お客さんはこの音を好きだし。すごく強い音だしね。日本ではテクノが強かったと思うけど、今はプログレッシブハウスに人気が出てきつつあるね。世界のどこでも同じだと思う。
音楽として、何がプログレッシブハウスを強くするんでしょう?
それはこの音楽が人々の琴線に触れるからじゃないかな。フィーリングや感情を表現してる。ハードなテクノでもなく、ファンキーなハウスでもなく、安っぽいトランスでもない。もっと知的で特別なものだ。時には少しパーソナルに思う。
パーソナルというのは、人々が音楽をとても身近に感じるという意味ですか?
そう。そのとおり。プログレッシブハウスはもっと暖かいと思うんだよ。メロディーがあって、音があって。その音は人々をもっと感動させる事が出来る。で、心臓の鼓動。時々、わかるでしょ?ね?
ええ。私もそう思います。心臓の鼓動ですよね。
そう!わかるよね。
わかるわかる!・・ところでDJとして最初に行ったのは世界のどこでしたか?
最初は、、、思い出せないなぁ。アムステルダムやスペインが最初の土地のひとつだった。で、アメリカやアジアに行き始めて・・・で、自分の名前がどんどん売れ始めて、この音楽も世界中で成長し始めて、DJとして忙しくなった。いつも旅するようになった。先週金曜から今週金曜までの今週は、メキシコ、マイアミ、ロンドン、クアラルンプール、そして東京なんだよ。
え?本当?
本当だよ。
1週間で?
そう。1週間。
うそ!!神様!
今週は水曜日にタイ、木曜はシンガポール、金曜はマニラ、土曜は香港で、月曜はIBIZA。今日は珍しく休日なんだよね。すごい珍しい。
信じられない!私、あなたに会えてすごくラッキーです。一年に何度地球を回ってるんでしょう?
多分10回。簡単だよ。去年は1年で200回パーティーをやったんだよ。スタジオに入って7枚のレコードとミックスCDと、200パーティー。24時間365日ノンストップだ。ワーカホリックだよ。
人々があなたを求めてるからですよね。
うん。でも僕もこの仕事が大好きなんだ。いろんな国でDJすることが好き。楽しいんだよね。時々疲れる事もあるけど、でもNICEだよ。2,3の製作と、3,4のリミックスもスタジオでやってるんだけど、それはパートナーとやってて、名前はGilberyっていう。スタジオ製作チームだね。
Gilberyはあなたを捕まえることがすごい大変でしょう。
うん。うん。すごい大変。電話やE−mail・・・難しいよ。
お察しします。新しいMIX CDはREACTから出たRESOLUTIONですね。
そうそう。
次のアルバムはどうですか?
来年早々に、多分2月か3月にRESOLUTION 2が出ると思う。そして後半にGlobal UndergroundのCDを手がけると思う。だから多分来年は2つ出す。
多分あと200のパーティーもやるんでしょうね。
(笑)まぁどうなるかなぁ。疑いもなく僕はすごい忙しいかも。
驚きます。そんなスケジュール見た事ない。
DJは世界中を毎週旅してるよね。でも僕がサイアクだろうな。
DAVE SEAMANでさえそんなんじゃないですよね。
うん。みんな、僕の事をクレイジーだって言うよ。多分来年か今年、もっと気楽にやろうと思う。
本当ですか。(疑いの眼差し)
(笑)永遠に(旅してDJすることが)好きだよ。僕に仕事するためのいいエネルギーをくれる。
私も今日あなたのエネルギーをいただきました。どうもありがとう。
ところで、どこでプレイするのが好きなんですか?
いくつかあるよ。ブダペスト、アルゼンチンのPACHA、日本は大好き。東京。すごくすごく好き。シンガポールのZOUKも社交的でとてもいいクラブ、あとロンドンのBedrockは素晴らしい。そしてロンドンのFABRIC。イスラエルではたくさんのいいPARTYでプレイした。今は危険すぎるけど、パーティーは素晴らしかった。で、オーストラリアに帰るといつもいいパーティーだ。メルボルンかシドニー。
オーストラリアのシーンについて教えてください。
僕は長い事クラブではプレイしてない。オーストラリアはとてもいい5000人から1万人規模のアウトドアのパーティーがたくさんあるんだ。COOLな1回きりのやつ。天候もあそこはいいしね。メルボルンでいいPartyは、“Summer days”と “New Years day”。去年John Digweedがプレイした。2万人だった。夏で外で、僕にとってはベストなパーティーだね。John Digweedは2年連続でそこでプレイしたんだ。だから彼も(そのパーティーが)好きなんだよ。(笑)
私達はアジアのクラブシーンをあまり知らないのですが、タイ、マニラ、クアラルンプールはどうですか?
これらは新しい国々だね。DJにとって、この音楽のシーンがまだ大きくなってないところでも、すでにシーンが大きいところと同じようにプレイをするのが重要だ。どこかでシーンが始まれば、それが育つのを助けなくてはいけない。すでにシーンが確立したところばかりでプレイは出来ないんだよ。これが僕の考え。音楽を広めて健康的にし、将来それをもっと何かいいものとしていくのは重要だと思う。もしその場所に1年に1回行ってて何度もいけなくても、パーティーはよくなる。なぜなら人々は君を見たくなるから。彼らはいいパーティーをするようになる。で、それはいいことだ。
どこかに初めて行くときというのはどんな気持ちですか?
いつも興味深く思う。難しくはない。なぜならもう僕は十分な経験を持ってると思うから。お客さんの様子を読む事が出来るし、ある状況下でどうすればいいかもわかってる。15年もやってるからね。お客さん達の事を知ってれば簡単だけど、僕も初めてのところだとエキサイティングに思うよ。僕は多くの同じ場所に何度も行くから、何か違うことをすることは僕にとってもいいこと。ちょっと挑戦って感じだし。
ところで、DJになりたい人たちに、どうやったら人々の気持ちをつかめて、心が読めるようになるのか教えてもらえますか?
もちろん。僕が人々を読むやり方は、長年レコードをプレイした経験からきてる。もし自宅でDJをしてた人がクラブDJをやろうとしたとする。人前でプレイした事がないなら、10年やってきてるDJと違ってどうやってお客さんを読むのかがわからないと思う。自宅でDJやってる人でも技術的には世界一のDJにもなれる。でもダンスフロアにいる人々のことについての経験と知識はもっと大事。で、それから、人々とコミュニケーションするスキルを使うんだ。
僕は若いときからDJを15年やったからいろんな状況を経験した。時には良くて、時には悪くて、時には僕が好きなレコードを人々は嫌いだったこともある。でも経験から学んだもし経験から学べばもっと君もよくなる。経験が人をいいDJにするんだろうと思う。自分で何年も練習する。これって、自己鍛錬型の仕事だと思うよ。本当に。自分でより方向を定め、より学べば、よりよいDJになる。
もっとも重要なのは?
人々とつながることだと思う。音楽だけじゃなく、人としてだ。君のエネルギーで。
エネルギー。
そう!ポジティブエネルギーを持っていなくてはいけない。怒りや悲しみはダメ。人々と、音楽と、顔をつき合わせてつながる事を学ばなければならないよ。もし人々とつながることが出来れば、驚くべきエネルギーを得る事になるだろう。
エネルギーが世界中の人々とコミュニケーションをする。
そう。言語なんか関係ない。フィーリングだよ。
土曜日のWOMBではエネルギーは良かったけど、僕にとってあのクラブの問題はDJブースが高い位置にあることだ。ちょっとお客さんと遠いね。それでも良かったけどね。みんなからも僕が見えるから。でも簡単ではない。
私もフロアにいましたが確かにあなたが見えにくかったですね。
うん。僕なんて、こうやってやらないと・・・(と、一生懸命、背伸びして窓からフロアを除きこむ真似をする)
(爆笑)
っていうのも僕、背が低いからさ。みんなを見ようとして。(笑)
友達も、あなたが同じフロアでDJしてくれてたらいいのに、って言ってましたね。
うん。その方が親しい感じだよね。アイコンタクトはとても重要。人々は音楽だけを感じてるんじゃなくて、プレイしてるDJもだよ。物じゃなく、そこにいるのは働いてる誰かなんだ。だからみんなDJを見たいんだ。
今日はどうもありがとうございました。来週もハードスケジュール、お気をつけて!
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