出てきたメロディーが「絶対的」なものだった
まずお生まれを教えてください。
1967年5月4日生まれ、35歳です。東京の虎ノ門病院で生まれました。
細かい!
朝5時半ぐらいです。(笑)そのまま大井町に住んでいました。新横浜にいたこともありましたし、代々木にいた事もあって、転々としてました。地元も東京で、親も東京です。故郷に帰るっていう感覚はもってないですね。ロンドンだと思ってます。(笑)
いろんなところでプレイしてるんだと思いますけど、ロンドンがお好きですか?
プレイするのが好きってわけでもないですけど、キャリアを始めたのがロンドンなのでその時点でロンドンで自分のアルバムをリリースするってのを目標としてたんです。今年にAile Alegriaってアルバムがイギリス以外のヨーロッパで発売されてたんですけど、ようやく7月にイギリスでもリリースが決定して目標がかなえられた。
そうですか!すばらしいですね!
最近の1番嬉しい話はそれにつきます。でも、なんかさりげなくリリースされてて。夢がかなうのってあっという間ですね。ずーっとそう思ってたのに、もうリリースされて雑誌のレコ表まで送られてきて、「もうとっくに出てる・・」みたいな。(笑)ヨーロッパの人って日本人ほどまめに情報を発しないから、いい人達なんですけどね、まめさ加減が違いますよね。で、もうリリースされてたんで。(笑)一人夜中喜んでましたけどね、メールが来たとき。もうちょっと早く教えてくれればいいのに。とっくにレコード出て、なんか3点とかついてるの(笑)。「あ、3点か」、みたいな。
育った場所というよりは大人になってから音楽・DJのために回っていくということの方が印象深かったりしますか。外の土地というのは。
そうですね。東京以外に行った事がないのでね。いくつか家族と言った事はあるんでしょうけど印象はないですね。ただ、小さい頃から家族がグローバルなものに興味を持っている人間たちで、音楽も含めアートもね、そういう感じなので、インナーなかん地ではなかったですね。そういう意味で影響を受けてたのかもしれませんね。常に子供の頃から。日本人以外のものを耳にしたり眼にする。映画でもそうですね。そこで培ったものがあるかもしれないですね。
ご家族で音楽とかアートの関係の方はいらっしゃいますか?
僕の兄貴がギタリストで、今40ですけど彼は20代前半からNYにいってしまって、アルゼンチンのフォルクローレという音楽に傾倒してミュージシャンになって世界中をギター1本で演奏旅行しているような人です。僕の1枚目のアルバムの中で「706フィールド」っていう曲があります。これが幼年時代の事が絡んでいるんです。新横浜の公園で兄貴とよくキャッチボールしてたんですね。友達も引越しが多い地域であまりいなかったので。大倉山の坂の上を行くと大倉山公園って地味な公園があって。そこでよくやってたんです。インストルメンタルの曲を作ろうって言うときは、テーマが必要なんですね。作ってたら、その時キャッチボールをふっと思い出して。兄貴がリリースしたCDをサンプリングをしちゃおうと。それにリズムを加えて作った曲なんですけど。それは現代のキャッチボールじゃないですけど、大人になってからお互いについた仕事でキャッチボールしてみようかなと思って作った曲です。それは彼も喜んでね、自分のギターが違う感じでアレンジされてリミックスされたので、びっくりしてました。お互いやってる音楽が多少違うので、その辺が面白いですね。僕も南の音楽ですけど、彼のとは全然違う音楽ですから。そういう意味では面白い兄弟だと思います。
本当ですね。ご家族の方は反対もしないわけですね。
心の中ではねー、僕は結婚もしてないし就職もした事ないような人間ですから(笑)心の中ではそう思ってるかもしれないけど、あまり一般の家族の人たちよりかは変わってますかね。僕の母親も映画関係の仕事をしてたりするので、環境はいいと思いますね。
そうですね。のびのび。
うん、なんかなるようにしてなったという形かもしれないですね。僕のプロデューサーとしての感覚も、彼女から受けた、人とのコミュニケーションによって仕事を詰めていくというやり方も親譲りということかもしれません。音楽的影響も兄貴の部分があると思いますし。
お母様が映画館系のお仕事をやることってお母様の世代的にはレアなケースですよね。
そうですね。そういうのを子供のときから見ていると、多少こっちも触発される。夜中まで仕事していて、いろんな人、変わった人たちが回りに一杯いて、パーティーにも呼ばれて。小学生の頃からね。そこで理数系の学生になるかっていったら、文系になるんでしょうね。親になるぐらいの年齢になってから、そう思いますね。親の影響力っていうのは。
NYにお兄さんが行かれて、やっぱりLAVAさんも「あ、海外にいこう!」と思い立ったんですか?
それもあったかもしれません。実は、僕は兄貴より以前にいこうと思ってたんですよ。18歳ぐらいのときに。単純にそのときの情報量なので、NYってのがメジャーな感じだった。とはいっても、いまだにNYにいったことないんですけどね。当時、そのために仕事を激しくしてお金もたまったんですけど、その瞬間に兄貴に先に行かれてしまったんですよ。わー!と思って電化製品なんかに使ってしまって。(笑)飲み食いとか。もう悔しくて。兄貴に先に越されたことが。それで23ぐらいまで外国には行かなくて、それから5年ぐらいたって初めてロンドンにいったんですね。その時は観光というつもりはなくて、自分でも音楽、バンドをやったりしてて、ちょうど23ぐらいですからブラブラしてる時であまり先が見えないというか、(笑)少しね。後先のことなんかをを考え始めたんです。ずっと中学生の頃からUKに影響されてた事が多かったので、実際に行って、自分の目で見て、本当に自分の行くべき方向が合ってるかどうかを確認しにきた。で、ロンドンに7,8ヶ月居座ってたんです。何をしてたわけでもないし、DJもしてないし、路上で歌ったりはしましたけどね。そのときちょうど湾岸戦争やってた時で、向こうにいる間に戦争が終わったりして、日本で感じるよりも世界の動きをダイレクトに受けまして。日本にいるよりも、生命を感じたというか・・。大げさに言うとね。自分が生命を与えられた人間であるというか。先のこととかそういうことを考えていること自体が不毛に感じた。あともうひとつ、海外のものに影響されるのもいいんだけど、文化の違いや人種の違いも感じたんで、ホームグランドっていうか日本という国で海外から発信しているのをいただいたものを表現するだけの面白くなさというのを感じました。日本にいる限り、日本で影響されたり感じた事ももっと発信しなきゃいけない。今でもツアーに行ったりしたときに、感じますね。海外でやる、売れる事も大事なんでしょうけど、行けば行くほど日本という国をまた見直させる、頭から離れなくなりますね。日本の祖国が。 あの国の人々はトラブルを抱えてるけどクラバー達は本当にCOOLな人たちだった。地に足が着いてる。どうしてああいうトラブルが出てくるのかが全然理解出来ないぐらいだよ。彼らは本当にCOOLだった。
個人的な話ですが、私も湾岸戦争の頃イギリスに3ヶ月いたんです。終わった頃はNYにいたんですけど。LAVAさんと同じように、不毛に思いましたね。普通に就職するのもね。でもしちゃったんですけど(笑)。ただ、生きてるっていうのはそういうことだけじゃないのでは?って思いましたね。
うん、ちょうど地球がグラグラしてるときでしたもんね。日本でグラグラを感じるより、向こうの方が感じれたのはなぜかな、って思ったりね、ま、多国籍軍なんかにも英国はいたわけですから、自分の感情の置き所が違いますよね、国民の。それをダイレクトに向こうで感じて、戦争が終わった瞬間のその喜び方ってものすごかったですから。僕も大騒ぎになって。わー、とかいって。(笑)号外を一杯もらったりして。ノートに貼ってありますよ。
ところで、音楽の話になりますけど、Brasielectroなどの音楽に至るまでにはどういう経緯だったのですか?
僕のキャリアは28ぐらいにロンドンに行ったときからDJをやり始めたんですけど、それから行ったり来たりしてる時、あるとき、歌物をかけ始めたんですね。それまでDeep House中心だった。ロンドンから始めたっていうのも含めて、当時のシーンを念頭に入れたところもありましたし。やっていくうちに歌物のトラックをかけたいと思ったときに、ブラジリアンを掛けだしたんですね。当時ジョークラッセルとかが、歌物のブラジリアンのハウスをフロアに提供するようになってきたときで、僕もそれはかっこいいと感じてて。その手のレコードを買いあさってクラシックから最近のものまで歌もののブラジリアンをかけるようになった。そうするとフロアの感じが前よりもよかったんです。楽しそうだったんですね。今でもDJ続けてるのはフロアのリサーチが出来るって理由です。自分も曲をつくるので。特に日本ではラテンのものが踊りづらい、特に4つ打ちのほうがね、でも裏のリズムに対して反応が日本でもよくなってきて、これからはラテンがもしかしたらいいのかもしれないと思ったんです。そんな事をしながらDJの活動をしたり自分のイベントをプロデュースしたりしてるうちに、ラテン色を出したんですね。で、たまたま知り合いからあるアルバムを依頼されたときに作ったのはAile Alegriaという楽曲で。これは、電車の中で作った曲なんです。電車の中にいたら飛び込んできたメロディーで。リズムがボサノバで、言葉もポルトガル語だったような気がするんですけどね。これは僕が信じてきた事が形になる時かな、しっかり制作してみようと思って。最初はカフェと雑貨屋さんしか売らないって小規模な企画だったんだけど、出てきたメロディーが「絶対的」なものだったんで、これはいいかもしれないと思ってリリースしてみたら、ヨーロッパでもリリースできて、Brasielectroって人気のコンピレーションにも入ることができて。あんまり野心があったということはなくて、自分がこれかなと思ったところから初めてタイミングよく制作の話が出たので、割とスムーズにそこまではいきました。
導かれて。
そう、導かれてですね。
「やってみない」って言われて、こっちも肩の力を抜いて「いいよ」って言った。その時は全部インストって言われたんだけど、「インストでブラジリアンでおしゃれか・・」と思って作ってみたらあんまり面白くなかったんで、制作費、結構かかってたんですけど、全部ボツらせちゃったんですね。これは世の中で出すにはたいしたことないというか、人の手に届くものであればリリースするべきじゃないと思ってね。
そんな時に、電車の中で歌が落ちてきたんですね。制作を没らせた時に、僕自体も悶々としてたんですよね。「話をもらったのにどうして」って。23歳のときのグラグラしてたような雰囲気がまた降りてきてね。何をつくろうかな、って思ってた、その時に落ちてきたものだったんで。やっぱりメロディーと自分の個性であるトラックがまざれば、これは自分の武器といえるものじゃないかなって。LAVAってアーティストがアルバムリリースする武器ってのはここだな、とハッキリしたんでね。結果的にヨーロッパでリリースされたので改めて自信というか、現状を知る事が出来ましたね。
それはとても勇気がいること、というか、自分の表現と違うと気づいた時に、そうはいってもそれを全部ボツらせるというのはすごい事ですね。
そうですねー。多分、それまでに聞いてきた音楽や触れてきたものが、幼年時代の頃からも含め、自分には絶対的なかっこよさだったり、自分がいつのまにか人に影響する立場であるということを自負する人間になってきてて、これですよ、これを聞いてくださいって提示出来る自信がないといけない、って思ったんでしょうね。まったく自分にその自信がなかったので、ましてやプロフェッショナルとして名前が残るんで、避けたいな、と。
それはいつのお話ですか?
3年ぐらい前ですね。
曲を作ったり、DJとして、人からの反応をいろんなところからダイレクトに受け取られていらっしゃるわけですけど、こういうことをしたい、とか、これを心がけてる、とか、メッセージなどはありますか?
DJのときは、・・海外で特にやるとき一番感じるころですけどクラブって場所は単純にストレスを発散させる場であり、お酒をおいしく飲む場であり、常に人々の感情を演出するのがDJだという認識なんですね。日本でもそうですが、お目当てのDJを見に行くとか、ブースでベタって張りこんで見られるとか、そういうところで何かしなきゃいけないってのはなくて、フロアに遊びに来た人への、「演出家」であればいいというか、協力者っていうかね。週末にドイツでやってたときに感じたんですけど、「頼むぞDJ!」的な。「後は任せたぞ」っていう逆にお客さんのメッセージを感じちゃうんですよね。「本当にいい曲をかけてくれよ。俺達に楽しい夜を提供してくれ」っていうようなね。僕は常にメッセージを受け取る側じゃないかなって認識です。そこで下手な音楽を許されないって空気があったりして、つなげ方がどうというよりも、ドラマを求められたりあげ方を求められるっていうか。ブースなんてただのビールの置き場ですから(笑)。そこで自分がどれだけ彼らをもっていけるか、っていう命がけじゃないですけど、常に彼らのメッセージを感じる。日本でも「最近」、そう感じます。フロアはよくなってきてると思うんです。クラブのことをいろいろ言う人いますけど、落ちてるんじゃないかとか。でも僕がやる場合は感じないですね。逆にフロアは上がってきてると思います。個々がストレスを適当に楽しんでいるって感じがする。一体になってブースを眺めてる状況ではなくて、思い思いに音楽を楽しんでる、そこで偶然DJはLAVAだったっていう感じになりつつあるんじゃないかなって。僕は下世話でいいと思いますし、みんなが知ってる音楽かけることももちろんいいと思いますし。いろんな哲学をDJはそれぞれ持ってますけど、僕は自分が出すというより「メッセージを受ける側でありたい」ってのがメッセージかな。
アーティストとしては、常にコミュニケーションでありたいってのが最大のメッセージですね。常に1枚目で反応というかメッセージを返してもらって。アーティスト兼プロデューサーでもあるということもあって、常にレコード屋をリサーチしてますし、CDをとうやって置かれてるかも見に行きますし。それをふまえて次の作品を皆さんに投げかけます。次はまたクラブから反応をもらったり。インターネット上でどうやって返してくれるか、ってのもリサーチになる。フロアとネットっていうのは自分にとって大事なコミュニケーションの場になってますね。作品を通じて。
LAVAさんのWEBSITE、素敵ですよね。
世界中の人が見てくれるわけですからね。
バイリンガルですね。
そうそう。そこが充実してないとね。特に皆さん見ますし、広がってますし、かなり力はそこには入れたいなっていう風に思ってますね。皆さんのも僕は見ますし、常にリサーチ好きというか。その辺忘れないように。自分の作品を手の届くところにふれさせていたいという欲張りなところもあって。こないだもHMVいって、視聴機で大きく展開されてますね。で、店員に聞くわけです。僕の容姿は誰も知らないわけですから「これはどうですか?売れてますかね?」とか聞いたりして。そしたら「よくわからないんで、聞いてもらえますか?」とか言われたりね。(笑)「冷たいな、この人。」とかね。(笑)
新星堂とか、普通のレコード屋さんでも視聴機に新しいアルバム、入ってますよね。
時代のタイミングとか、夏、ってわかりやすい季節というのもありますから。
クラブ系のジャンルの音楽は普通には店頭にないですものね。わーLAVAさん、あるよ!すごい、と思いました。
うれしいですね。そこが一番のリスナーさんへの窓口ですから、そこが充実してないと着く利害もないというか。作って終わりじゃないからね。僕らの仕事は。届かないとね。お客さんに。新星堂もうれしいし。うれしいですね。
今後のご予定は?
どうしようかな?(笑)
今やってることを言うと、今は日本人のボーカリストのアレンジメント2人やっています。一人はハーフで、もう一人は日本人。ブレイクさせるんだったら日本人やらなきゃだめだよLAVA、ってさんざん言われるので(笑)。日本人の女の子も出します。詩も書いています。日本語でLAVAがやるとどうなるのかってのが来年出ます。それと同時にリミックスものと、バートバカラックのカバーをやろうと思ってましてそれもリリースします。MUNDO NOVOの1枚目がUKで7月に出て、一方で2枚目がすでに日本で同じ7月に出てて、海外と時差があるので、海外での2枚目リリースは来年なんです。それに合わせて大ツアーをやろうと思います。南米でもリリースするので、ヨーロッパと南米に行きます。日本でも、ということで9月21日のルネスは、その一環として考えてます。来年にかけて、アーティストのプロデュースが10月でひとだんらくつくので、MUNDO NOVO2枚目がいい数字が出てるので、3枚目が出るまでに忘れないでね、って形も含めて、自分の企画ミニアルバム、6曲いりぐらいのを出そうとしてます。新曲もいくつか入れられると思うので。
・・・!もりだくさんですね。
そうなんですよ。目が回りそうですが。そんなにやっててどうするのかな、っていう意味も含めて、「どうしようかな」ってね。一番の目標は、南米とヨーロッパ、これですね!来年の1月終わりから夏にかけて4,5ヶ月使ってツアー。一切制作物なし。3枚目に夏リリースしないといけないぞって話は置いといて、自分が目標として掲げてるこのツアー。やっぱり、せっかくアルバムが行ったこともない場所で、会ったこともない人に売られてるのに、いかないわけにはいかない、っていう気持ちですので。それは絶対やりますから。なんといわれようとも。なんといわれようともやります。
なるほど。楽しみです。私もその中のどこかに行きたいです。
どっかきてくださいよ。ドイツでもフランスでも。みんなも、土日で休める人たちは来られると思うし。ハードなスケジュールになりますけど(笑)。クラブで夜明かしできますしね。僕は一人ぼっちで来てると思うので、来てくれればこっちも適当にやりますので。
現地の日本人の方々にも知ってほしいですよね。
うん。そうですね。
それにしても、南米でツアーをするDJっていうのは日本じゃあまり聞かないですね。
強烈ですよ。平気で2000人ぐらい来ますよ。
そういえばアルゼンチンやブラジルのシーンはいいってたくさんの人が言うのを最近よく聞きます。
まず、人数が半端じゃないんですよね。破格。あがるあがらないじゃなく。
やばいみたいですね。来てる人たちがすでに出来上がってるみたいな。
今、アメリカのリリースの話もあってね。ロスも含めてね。ヒスパニック系も半端じゃないですからね。音楽のアイテム的にもヒットするって言われてて、真剣にアメリカツアーも考えなきゃいけない、こうなってくると全世界かな、もう一切制作物なしでね。いるからにはずっとやってないとお金ももったいないので、ずっと行っちゃおうかな。って。向こうにも制作できるスタジオもあるし、依頼はこっちにしてくれ、みたいな。
かっこいいですね。
そうです。もう帰らないですよ。来年は帰らない!
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