DJ INTERVIEW Details
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PAUL VAN DYK(2002/10/9更新)
DJと制作を両立させるのは非常に困難なことながら、奇跡的に両立させている1人。トランス・ブームの原動力となったアーティストでもある。オリジナル・アルバムとしては、『45 RPM』、『Seven Ways』、『Out There And Back』の3枚をリリースしており、それ以外にもリミックス・ワーク集『Vorsprung Dyk Technik』やMIX CD『The Politics Of Dancing』をリリースしている。レーベル、VANDITも運営している。

PAUL VAN DYK Web site : http://www.paulvandyk.de/
僕は好奇心があって世界中に興味がある。僕の音楽と名づけられたタイトルを通してそれを分かってくれたり感じてくれたらと願ってる
まず最初に。いつどこで生まれましたか?

1971年にベルリンから1時間の場所に位置するEisenhuettenstadtで生まれたんだ.

あなたの故郷はどんな感じなんですか?また、どんな子供だったんですか?

ベルリンは自分が育った故郷で、学校に行き、最初の職を得たところ。僕はすごく普通の子供だったと自分では思う。でも学校に行って旧東ドイツの共産主義による多くの問題を抱えたとき、変わってしまった

もし差し支えなければ壁が崩れて東西ドイツがひとつになったときにどんな事を思ったのか聞かせてください。それはあなたの音楽に影響していますか?

ベルリンにいたとき、West Berlinラジオ局を聞く事が出来たんだけど、僕の音楽には壁が存在した事実は影響しなかったし、今もしてはいないと思う。でも多分、僕は音楽を、それが広い世界の窓であるかのように、もっと強烈に深く聞いていた。母と僕が、壁が崩れる10日前に東ドイツを去る許可を受けたのは覚えている。僕らはたった2つのスーツケースだけを持って国から出て行く事を許された。その日、母は今まで持っていた全ての物を失ってしまった。それはすごく辛かった。僕はまだすごく若くて、17歳だったからそれほどは辛くなかった。でもあのとき、僕は前の友達を永久に失ってしまったと思っていた。11月9日のベルリンの壁の崩壊後、どうしてそれが2週間前に起きなかったのだろう、と何度も何度も考えたよ

音楽に於いて具体的に誰かに影響を受けたと思いますか? また、DJのキャリアはいつスタートしましたか?

West Berlinラジオ局と、80年代の音楽にインスパイアされている。スミスやニュー・オーダーなどのバンドを聴いていたけど、DJになるなんて思ったことがなかった。1991年に偶然、友達のために作ったミックステープからのことだよ。デトロイト・テクノと、さっき言ったようなバンドの音楽の深さ、これらのパワーとエネルギーをつなげてミックスしたかったんだ

あなた自身は、プログレッシヴ・ハウスの波が押し寄せたときも自分のスタイルを貫いてきたわけですが、サイクルの早いシーンに身を置き続けるのは大変なことですか?

そうは思わない。でも、それについては考えない。僕の好きなことと、信じていることに従ってやってるだけだ。もしあっちこっちのトレンドを追いかけてたら、雑誌がほとんど毎週のようにトレンドを掲げたり、ダメになったと言ったりするたびに、すごくストレスだろうと想像するよ

時代的にはみんながブレイクビートを用いた方向に進んでいます。あなたも昔から好んで使用していますが、ブレイクビートの効用ってどんなところだと思いますか?

“ごく普通の”ビートのバリエーションのひとつとしてブレイクビーツを使うのは好きだよ。それは曲の中で違うバイブレーションを創り出すための、僕の音楽にとってのひとつの要素でしかない

これは個人的な意見なんですが、メロディーの復権によってシンプルになりすぎたダンス・ミュージック・シーンに再び活気が戻ってくるのではないかと思っています。その辺の考えを教えて下さい。

もし君がいわゆるプログレッシヴ・ハウスのことについて言ってるのなら、非常に多くのレコードに僕も飽きていると絶対に言えるよ。でも、僕はいつもエナジェティックなレコードを探していたし、クールでディープなレコードの中でいつもそういうのを見つけたよ

ドイツを拠点にし、先日はLOVE PARADEにも出演したわけですが、ドイツを離れられない最大の利点はなんですか?

ドイツに住む最大のメリットは、ベルリンが世界で一番いい都市だってこと。僕はただこの街が大好き。僕の故郷だし、世界で一番面白い場所のひとつだ

制作のことに話を移しますが、まず取りかかっていたサントラのことについて教えて下さい。

メキシコ映画『La Mano del Zurdo』のためのサウンドトラックはとても面白かったし、映画のために全部の曲を手掛けるという僕にとって最初のプロジェクトだった。監督のCarlos Salcesが、サウンドトラックをプロジェクトに於けるクリエイティヴな内容の一部分としたがっていたので“挑戦”という感じだった。彼は「ハッピーな歌がほしい」とか「悲しい感じのがここでは欲しい」とか提示してこないんだ。彼は僕自身の感覚を映画に求めていたよ

早くもニュー・アルバムへ取りかかるそうですが、具体的なプランはありますか?

アルバムがどんなサウンドになりそうかという具体的なプランはある。すでに各曲が頭にあるわけではないけど、次のアルバムに於いてどう反映したいかはとてもハッキリしたアイデアはあるよ

前作では、新たな道へ進むという決意表明のもと、「Another Way」を皮切りにアルバムがドロップされたわけですが、『Out There And Back』を発表したことによって何か心境の変化はありましたか?

「Another way」は『Out There And Back』の最初のシングルだった。そのとき、前のレーベル(MFS)と別れて自分の音楽生活に大きな変化があった。もう彼らとは絶対に一緒に働けないと気付いたときのことだ

これはプレイに関してなんですが、以前はもくもくとDJをしてたのが印象的だったのですが、見るたびに観客との距離が近くなっているように感じます。それには何かしらの心境の変化があったんですか?

そうは思わないよ

レーベル、VANDITのことについても聞きたいのですが、カタログも増えたことですし、そろそろコンピレーションの予定などは経ってないですか?

新しいコンセプトに基づいてすでに仕事し始めてる。Maxi CDをリリースするのはやめて、『Vandit the session』という1枚のCDアルバムにまとめた。このアイデアは違うリリースで出ていたものの長いクラブ・ヴァージョンのものをミックスもカットもしないで1枚のアルバムで提供する事にあるんだ。だから、4枚も5枚も買わなくていい。このアルバムを買えば全部そろう

そもそもVANDITとはどういう意味なんですか?

Vanditに意味はない。僕らはシンプルでインターナショナルで短い名前をレーベルにつけたいと思ったんだ。僕らは正しい名前を見つけたと思ってるよ

CASINOでのパーティーは、VANDITとはリンクしてないんですか?

してるよ。カジノでの僕らのパーティーはいつもVandit Nightsだ。つまり、僕らが全てについてケアしている。毎回完全に新しい照明のシステムや新しいデコレーションを入れて、サウンドシステムも2倍にして、音を良くしている。僕らのプロダクション・チームがパーティーを運営していて、僕ら自身がゲストDJとゲストを招聘して世話をしている

このサイトはSPACE Zというんですが、トランスにはもともとスペーシーな要素があるとはいえ、あなたの作品にはそれ以上の深いものを感じます。タイトルに「Vega」や「For An Angel」と付けるなど非常にメルヘンチックながらも広大な世界観が存在しているのは、あなたが宇宙規模のスーパースターだからですか(笑)?

人々に伝えたいメッセージというのはないけど、僕は好奇心があって世界中に興味があるヤツなんだ。僕の音楽と、名づけられたタイトルを通してそれを分かってくれたり感じてくれたらと願ってる

Space Zのオーディエンスにメッセージをください。

自分自身の事を信じて。そしていつも100%先を行く自分でいるように努力して



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