DJ INTERVIEW Details
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RUI DA SILVA(2004/12/6更新)Porutgal
待ち望んでいたRUI DA SILVAの来日。ついにageHaが実現してくれた。
数々のコンピレーションCDにクレジットが載っている有名プロデューサー。トップDJ達が世界中のクラブでこぞって彼の曲をプレイしていた。
Miami Croberの友人からの紹介でRUIに出会ったのは2年前。素顔はとてもマイペースで穏やかでいつもニコニコしていてほんわかする感じ。パーティーが大大大好きで、一晩に4件でも5件でもクラブをハシゴ、1件行く度に2,3杯強いお酒を嬉しそうに頼んでいるのを見て驚いたが、「いつもRUIはこうだよ」と友人。そしてみんなでバカなことを言い合って楽しみながらも、一方の耳は始終ずっと音楽に傾けられていて、その感覚がとてもシャープで研ぎ澄まされている感じを受けたのを思い出す。
インタビューで改めて分かったのは、彼はこれまでの20年間も毎晩、毎晩、音楽に耳を傾けて生きてきたということ。彼は開拓者の街ポルトガルに生まれ育ち、そして好奇心の趣く所に素直に向かっていくことで自分の運命を成就させようとしている一人の開拓者だった。最後に語った言葉は、「新しい音を探している。新しい曲を探している。」
野心家というわけではなく、そうすることが静かに自分を満たしていくのだという幸せをかみしめているかのようだった。
ポルトガルの出身ということですけど、どちらで生まれたのですか?どんな子供時代を送っていたのかお聞かせください。

リスボンで生まれ育った。すごくいい時間をすごしたよ。
3歳のときにイギリスに行って2年間暮らしたことがある。今はまたロンドンに住んでるけどそれはエレクトロニックミュージックが好きだから引っ越してきたんだ。

リスボンはどんな町ですか。

Party Cityだよ。MADなんだ(笑)。海のそばにすごくいいクラブがたくさんある。首都だしね。ハウスやトライバルなんかのすごく強いシーンがある。 トランスのシーンも。いろんな種類のシーンが同時に動いてる。夜は午前3時か4時から始まって、大きなパーティーだと6時から。

何時ぐらいまで?

お昼ぐらいまで。そうだな、大体午後3時ぐらいまでだな。

えー!

で、その後アフターパーティーがある。

えー!・・本当に「Party City」なんですね。いつからそういう場所に行き始めたのですか?ダンスミュージックがそれほどなかった頃から?

ダンスミュージックはあったけど、昔はいわゆるディスコだった。83年か84年の頃かと思う。

かなり前ですね。何歳でしたか?

15歳かな。

ポルトガルの法律ではOKなんですか?

うん。だって昼に行くんだもん。やってるから。

あ、なるほど!!

で、18歳になってから夜に出かけるようになった。

18歳からナイトクラブに夜に行けるようになるんですね。

17歳でさえもいけるよ。

あー(笑)。なるほど、まぁそういうもんですよね。ところで、どんな音楽がポピュラーでしたか?

当時はRockだった。ACDCとか。88年にダンスミュージック、ハウスが流行ってきた。

曲を作るようになったのは90年だと聞いてますが、Discoに通うようになってからの数年、どういう経過があって行き着いたのですか。

87年にバンドを友達とやり始めた。ベースを買ったりしてね。でも、そのうちドラムマシンとサンプラーを買うようになった。どうしてかというとみんな練習に来なくなってさ(笑)。だから一人で出来ることをやるようになったんだよね。

バンドが成り立たなくなったんだ。当時David SylvianのJapanが好きだったそうね。今、Ruiがプロデュースする曲の感じとはちょっと違いますね。

Japanは87年、88年にすごくよく聞いてた。89年以降は坂本龍一がすごく大好きだった。アヴァンギャルド、バンハウスなどが好きになって、それからダンスミュージックに移っていった。

実験的なものが好きなんですね。何か新しいものとか、チャレンジングなもの。
で、ご自分のレーベル、Kaosレコードを作った。どんなコンセプトでしたか?


ポルトガルで曲作りをするようになって、人々からデモをもらうケースも増えてきて、アーティストやプロデューサーと契約をするようになったのが最初だった。ロンドン移ってからはロンドンでレーベルをやるようになった。

ポルトガルではアーティストを見つけるのが難しい気がするけど、どうやって発掘するのですか。カオスをやっていくにあたって。

とにかく毎日パーティーに行ってたから。ハングアウトしながらいろんな人たちといろいろ話すよね。僕はホワイトレーベルで有名になってたから、それでみんなも僕に話しかけてくれて、彼らが作ったデモをくれるようになったりした。

ホワイトレーベルで有名になったんですね。それで評価を得たわけですね。

前は、そう。そうだよ。

次のレーベル、Kismetを作ったのはロンドンに移住したからですよね?

うん。レーベルを存続できる理由でもある。

Kismetとはトルコ語で「運命の成就」だそうですが、なぜこの言葉を選んだのですか?

その言葉の意味をレーベル名にしたかった。音楽を作って、レコードを作って、リリースすることが僕の運命を成就させることだと思ってるから。

どうしてそれが自分の運命だと気がついたのですか?

なぜなら、そうしないと僕は幸せじゃなかったから。僕は曲を作る必要あるし、スタジオに入る必要があるんだ。

なぜトルコ語ですか?

それは古代の英語なんだ。本当の起源はトルコだけど、今でもイギリスでたまに使われてるよ。

ところでChris CocoやMoshicと一緒のときにRui da silvaのda Silvaをつけるのはなぜ?

Da Silvaは本名。コラボレーションすると、そういう名前になった。Moshicはイスラエルのプロデューサーだけど、とてもいいよ。

DJは最近やり始めたのですか。

80年代にやってたことがある。友達とイベントやったりしていた。でもその後、曲のプロデュースしてて忙しかった。

最近、なぜ集中的にDJをするようになったのですか?

年取ってきてあまりクラブにいかなくなったからね。昔は毎日毎日毎日クラブにいた。でも体がついていかなくなってきてて足が遠のき始めたってことが大きい。

つまり、DJとしてクラブに行くのはインスピレーションを得るためだったりするのでしょうか?

そうだね。

他に自分の生活でインスピレーションを受ける場面ってどんなときですか?カフェとか美しい子を見るとか。

時によってだけど。スタジオにいって、アイデアを練ったり、楽器を弾いたり、レコードかけたり、そういうこともあるけど、外に出ていっていろんな音楽を聞いてるときだね。最近はDJをやるようになってレコードのアイデアを得られる。

最近はYoko Onoとかのリミックスも頼まれたりしてますね。どんな仕事が楽しいですか?

僕はいつでも最後にやった仕事が一番楽しいと思う。

将来の予定をお聞かせください。

新しい曲を探している。新しい音を探している。来年のまた新しい旅立ちのために。

DJとしてツアーで海外を回るのはRUIにとってはいいことなのでは?

すごくいい。自分の仕事とつなげることが出来るし、それに対してフロアのお客さんたちの反応もわかるし、すごくいいと思う。

どうもありがとうございました。
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