DJ INTERVIEW Details
一覧へ戻る  表紙へ戻る
DEEP DISH(2005/1/15更新)USA
2004年12月22日WOMBにて開催されたYoshitoshi presents DEEP DISH!
パーティーの翌日、ALIとSHARAMを訪ねていきました。
本文中の(A)はALI、(S)はSHARAMです。
余談ですが、二人組ユニットにインタビューをすると普通一瞬「どっちが答える?」と二人が顔を見合わせるってことが多いのですが、この二人は息がぴったり、あらかじめ担当者が決まってたかのよう(笑)。
さて、さっそくなのですけど、日本人の人たちは皆が不思議に思っていることがあるんです。なぜ「Yoshitoshi」という名前をつけたんですか?

(A)ある弁護士を訪ねたとき、その部屋の壁に絵があったんだ。その絵に名前が入ってて、Yoshitoshi Moriとあった。それを見たときに、「これ、レーベル名にいいじゃないか」ってことになった。それと、その画家のことを本に書いた人がShinichiだったから、その名前も次のレーベルにいただいた。

日本人の画家の名前から取ったのですね。その絵をそんなに気に入ったのですか?

(A)うん、すごくすごく良かったんだよ!会議室のようなところに座って待っていたときに、あちこち部屋の中をぐるぐる見渡していた時に見つけた。Yoshitoshi Mori。

あなたがたのレーベルとしてYoshitoshiとShinichi、そして新しく出来たYo!がありますが、それぞれどうコンセプト違うんですか?

(A)元はといえば、たくさんの音楽を全部出したいと思ったときに1つのレーベルだとリリースしきれなかった。それで他のレーベルを作ってリリース量を振り分けたんだ。特にこのサウンドを出していこう、といったような設定をしたことは一度もない。どういうわけか人々はそれぞれのレーベルがそれぞれオリジナルなサウンドを出している、と思うようになったんだけどね。
Yoshitoshiが成功した理由は、予想も出来ないようなものをどんどん出していったことにあるんだよ。同じようなサウンドは出さなかったんだ。だからこの成功の公式を他のレーベル(Shinichi、Yo!)にもあてはめていった。つまり、どんなサウンドを出していくかをあえて決めなかったわけだよ。
というわけで、最初レーベルを二つ立ち上げたポイントとしては、とにかく音楽をなるべく早くリリースしていくことにあったんだ。

Yoshitoshiは114タイトル、Shinichiはタイトル、Yo!もすでに8タイトルありますね!!レーベルを始めて何年経ちましたか?

(S)1994年に設立したから2004年で10周年だ。記念にCDをリリースするよ、2005年に。・・1年遅れてるけど(笑)。

過去10年の間に、あまりにも多くのリリースをされてきたわけですけど、A&Rとしてどうやって働いているのですか?どうしたらそんなにたくさんの音楽をリリースできるのでしょうか?

(A)僕らは世界中を旅することが出来てて、その中でいろいろなところで曲を見つけることが出来る。で、好きになった曲は片っ端から契約していってるというわけだよ。
レーベルで働いている現場の人達はものすごい大変だけどね。Oh、No!またリリース?やめてー!・・・みたいな。(ALIがムンクの叫びのような表情をしながら。)

(笑)スタッフの苦労をお察しします。A&RとしてのALIとSHARAMの役割分担を教えてください。

(S)二人とも好きなようにしてるよ。話し合いながらね。

Deep Dishとしては?

(A)正式に何か役割を持ってるってことはないんだ。面白いと思えることをやってる。彼がビジネスが面白いと思えば彼がその役割を実行し、僕は他のことをやったり。時々逆のことをやってみたり。とにかくずっと興味関心が続くようにしている。

自分達でも曲を作ってるし、リミックスもたくさん手がけ、これまでに何百曲もリリースしてきたと思うんですが、それらもやはり二人の共同作業ですか?それとも一人で作ることもあるんですか?

(S)二人でスタジオに入る。アイデアがあれば打合せして進めていく。お互いのよさをいかして、この曲をこうやってやりたいというアイデアがSHARAMにあればその方向で進めていくし、ALIが別のアイデアがあればそれで進めていくということをしている。スタジオには一緒に入るけど、自分達の持っているアイデアによって進め方は違ってくるってことだね。一緒に作るときもあればどちらかが曲全体のクリアなイメージを持っている場合はそれでいく。

お互いがそれぞれ自分の好きなもの、好きな方向に向かってやってるわけですね。

(二人揃って)そうそう。

スタジオに入って曲を作り、素晴らしい音楽を発掘するといった一方で、世界中からオファーの来る大変な人気DJでもあるので地球上をあちこちツアーで回っていらっしゃいます。その間はいったいどういう生活してるんですか?スタジオにも入るんですか?それともDJに集中するのですか?

(S)両方やるよ。だからいつも家に帰るんだ。2つのプロジェクトが同時に走っていたら、ギグのために海外に出て、終わればそのまますぐにまた帰ってスタジオに入って音を出して、変えて、直していって、テストして。そんなふうにして3日間スタジオにいて、また(DJをしに)海外に出て行く。

“家に帰る”って、USに、ってことですか?(彼らの拠点はワシントンDC)

(S)そう。USに帰るんだ。スタジオに入って、直してってことをやらないといけないからね。

えー!!毎回?

(A)ほぼそうだね。確かに僕らにDJ出演の依頼をしてくれる人達にとっては、僕らがしょっちゅうアメリカを行ったり来たりしてるのを見て、ちょっと驚いてるかもしれないね。普通のDJは何日かその土地で過ごしたりするだろうから。そういう意味では僕らは違ってるのかもね。でもここ(東京)だけは別だよ。東京にいてすぐに帰るってわけにはさすがにいかないからね(笑)。13時間、14時間かかるわけで。1回来たらUSには4,5日は帰らないよ。

メジャーレーベルのアーティストやPop starとの仕事もとても多いですね。たとえばマドンナのMusicとかに記憶に新しいですが、USに住んでいることはやはりいいこと?ネットワークなどもやはり出来ますか。

(S)人間関係は重要だけど、友達だからといって雇うってことはないのと同じで、仕事の仕方を分かってないと。素晴らしいものを作って提供出来るという才能を信頼してもらわないとね。

(A)メジャーレーベルの有名アーティストの曲をリミックスするということが普通のことになった時代に僕らはいる。多くの人達が僕らのことを、そういう仕事を手がけるようになったことを理由に、前よりもコマーシャル(商業的)になった、と考えているようだけど、僕らは優れた作品を聞きながら育って成長してきたわけで、その80、90%はR&BやPOPだったりした。僕らにとって彼らのやってきた仕事はとても信用出来るものであって、その時代のサウンドとして定義されていたものだ。僕らにとって(POPが商業的とか、DANCEがアンダーグラウンド、とかいったような)違いは何もない。

自分達でもリミックスしたい曲を選んだりすることはありますか?

(S)うん。ある。一度、ローリングストーンズをやったことがある。97年だったな。僕はどうしても本当に何かすごいことをしたかったんだ。それで直接電話してこう言った。「あなたがたの新しいシングルが出ますね。僕らにリミックスをやらせてほしい。無料でやります。もし僕らのリミックスを気にいったならお金を払ってください。好きでなければお金はいらない。」とね。すると彼らはリミックスすることにOKをくれた。で、出来上がってみたら、実際彼らは僕らのリミックスをメインカットのシングルで採用してくれた。そのシングルはUKでトップ20に入った。

自分からチャンスをつかむということをやっていらっしゃるのですね。
それがあなた方の成功の鍵、ですね?

(A)うん。ただ座ってるだけじゃ何もやって来ない。もし何かしたいことがあればアグレッシブに追い求めていくことが大事だよ。

二人ともイラン出身ですね。何歳ぐらいまで住んでらしたんですか?

(A)7歳。
(S)14歳。

どんな町なんですか?どんな子供時代を送って、どんな音楽を聴いてきましたか?どんな思い出を持っていますか?私達はイランがどんなところなのかなかなかイメージがつかないのです。USとかヨーロッパを旅行したりはするからなじみがあるのだけど。

(S)昔、僕が7歳のとき政変が起こる前はヨーロッパとすごく同じだった。町も観光にとてもいい場所だった。60年代、70年代は他の大都市と同じだったね、映画の封切りもNYと同じタイミングでだった。政府が変わって、多くの人々の生活は変わらざるをえなくなった。イラン文化はすごく深い。でもそれ以来、TVなどのメディアは、最悪な部分、最も貧困な地域を映すようになった。極端な部分ばかりを見せることで、メディア側で論点を作り上げてるわけだよ。例えば100人が反対運動をしているだけで、ものすごい反対が起こっているかのようにそれを見せる。他の5千万人の国民はそういうこととは無関係に普通に暮らしているのにね。他の国の人たちと同じように仕事を持って働いて、家族を持っていて、携帯電話を持ってて(笑)、コンピューターを持ってて。
・・・この話をし始めるとすごく長い会話になっていくんだけどね・・・、そんなに違いはないんだよ。インターネットエイジの今は特に。ただ、新しい車はだめだ。政府が輸入を許してないから。でもファッションはOK、コンピューター、電話、家電機器は全部輸入OKだからみんな手に入る。

音楽はどうだった?

(A)音楽。(ここで、ALIが日本語で「ONGAKU」、と発音して幸せそうに笑った。)

そう、ONGAKU。イランでのMusicに関する体験はどうでしたか。

(S)革命が起こってから音楽の輸入は禁止された。何も手に入らなくなった。すべてブートレグレコードかブートレグチャンネルに頼るしかなくなった。いわゆるブラックマーケットものだ。イランに向けて放送されている海外のチャンネルはいくつかあって、その中にはイギリスの音楽などの放送もあったけど。アメリカの音楽も。

今はイランでもインターネットで音楽が聞けますね。

(S)うん。

でも子供時代はそうではなかった。

(S)聞けなかった。テープがすべてだった。友達にコピーしたりね。といってもコピーすることすらすごく難しかった。僕の夢は、SONYのダブルカセットを手に入れることだった。80年代ではダブルカセットが皆の憧れの的だったんだよ!

ALIは?

(A)僕はすごく小さかったからあまり音楽には入れ込んでなかった。7歳でアメリカに来たからね。その後だんだんと芸術と音楽に興味が向いていった。僕の家族は皆そうだった、僕の父は詩人だったし。多分遺伝なのかな。わからないけど。僕は詩人にはならなかったけどね(笑)。

お父さんが。そうだったんですか。あなた自身も詩を読んだりすることはあるのですか?

(A)ううん、でも医者や弁護士になろうと思ったことは一度もない。芸術的な方へと興味が向いていた。

ところで二人はどうやって知り合ったの?

(S)お互い共通の友達がいたんだ。その友達はプロモーターだったんだけど、彼に呼ばれていったPARTYで出会った。二人ともDJをしたんだ。91年だった。

それですぐにユニットになったんだ。

(S)うん。時間を無駄にすることはないからね。

ということは、すぐお互いの才能のことがわかったのですね?

(S)二人とも何か違うことをしたかったんだ。他の人達よりもいい音楽を作りたかった。少なくとも同じ程度のね。

(A)あるサウンドが頭の中ですでに鳴り響いてた。それをリリースしたかった。何かユニークで違うものをやりたかったんだ。

ところで、その出会った二人が自分達のことを「ディープディッシュ」と名づけた理由はなんですか?

(S)Deep Houseミュージックと、ピザのコンビネーションだ。

ピザ?

シカゴスタイルDeep Dishというピザがあって、パンのような厚い生地のピザなんだけど、スタジオでいつもオーダーしてたんだ。

スタジオでいつも食べてたの?

(S)うん。いつもDeep DishピザをオーダーするユニットDeep Dishってことで。(笑)
アールグレイティーばっかり頼んでなくてよかったよ。もしそうだったら僕らはアールグレイって名前になってたところだった。(このインタビューでは、彼らはポットでアールグレイティーをオーダーして飲んでいた)

(笑)・・さて、今後の予定を聞かせてください。

(A)アーティストアルバムを3月か4月に出す。6年ぶりなんだ。日本でのリリースはまだ確定していない。それとアルバムのショーケース的な活動を行う予定。作品もまた作っていく。もちろん東京にもまた来る。・・・・人生がもたらしてくれるよ。

一覧へ戻る  表紙へ戻る

Copyright 2002- MUSIC WAVE Co.,Ltd.All right reserved.